懸命な利用・・・
- hyperinakacreate
- 2020年7月31日
- 読了時間: 3分
どうも、一般社団法人ハイパーイナカクリエイト代表理事の吉田です。
一部の人にはタイトル壮大に間違っとるやないかいと思われたでしょうが、今回はこれであっています・・・。
そもそもは賢明な利用とは、Wiseuseの訳であり、ラムサール条約第2条に記されています。
useと書かれているものの使うというよりも調和や共生を考えることに重きが置かれているように感じます。
開発などによって失われてきた湿地をはじめとする自然に対し、今までの行為を見直し共に生き、活かされていくために何ができるかを考えることを促しています。
それは正にハイパーイナカクリエイトの行動理念と一致しており、我々は賢明な利用により地域をデザインすることを目標としていると言えます。
さて、Wiseuse (賢明な利用) の対角にあるものとしてHarduse・Overuse (懸命な利用) があります。この懸命な利用は、ヒトの活動により湿地などの自然が失われていき、そこから得られていた恩恵 (生態系サービス) を受けられなくなったり、生き物たちに悪影響が及ぶことを指します。大体は、気づいたときには時すでに遅しで元には戻れないフェーズ (レジームシフト・カタストロフィックシフト) に進行し、地域に大きな問題をおこします。
では、なぜ懸命な利用が起こるのでしょうか。
様々な要因があげられると思いますが、私は最近「経済の価値観」というものに注目しています。経済の価値観というものが言葉として存在するのかわかりませんが、ヒト to ヒトの価値観をそのままヒト to 自然に当てはめることによって懸命な利用が起こってしまう要員を作っているのではないかという事です。
ヒト to ヒトの経済は、我々の身の回りの経済圏を指しています。私は経済には全く詳しくありませんが、スピードが重視されていたり、共通の言語であったり身振り手振りなどでお互いの意思を示し、汲み取ることが比較的容易です。たとえまずいことが起こっても、当事者同士での話し合いや法の裁きによって対処できます。
では、ヒト to 自然はどうでしょうか。
共通の言語はなく、身振りなどで意思を示しても相手が汲み取れるかは難しいと考えられます。なので、私は自然を相手に何かするとなったときは観察と熟慮が必要だと考えます。自然の小さなアクションだけでなく、なぜそこにあるのか、どういう風に成っているのかなどをとにかく観察し、観察から得られたことを熟慮し、そこに行動を起こすとどうなるかを考えます。それでもわからないことのほうが多いと思います。
その熟慮の手助けとして、ラムサール条約や自然公園法、鳥獣保護法などがあるかもしれません。自分が自然に対しこうしたいと思っていることに対し、いったん立ち止まり考えさせる。まさに、条約や法律が賢明な利用を促しているとも考えられます。
ヒトのために自然を変えるのではなく、自然のためにヒトが変わる、ヒトが動く。
そんなことを当たり前にできるような地域づくりを行っていきたいなと思います。

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